佐野百観音の由来
新観音堂
栃木県重要指定文化財の佐野百観音は、江戸時代初頭より観音堂があり、普門山観音寺と称し、享保年間に観音寺住職了覚上人が発願、地元佐野の天明鋳物を用いて、元文元年(1736)11月11日に、坂東33観音、西国33観音、秩父34観音、合わせて100体の観音様が当時の鋳物師達の競技の作として作られた。そして翌年の元文2年4月日光山御門主より良覚山観音院唯信寺の号を賜る。幕末より台元寺が管理していたが、明治6年唯信寺は廃寺となり、台元寺に統合される。
平成21年9月19日に新観音堂が完成。
本尊
御本尊の、十一面観音は、大永4年(1524)の作である。この本尊は、12年に一度、午年にのみ、11月1日から1ヶ月間だけ御開扉(おかいちょう)といい、扉が開かれる。毎年11月第一日曜日に大祭があり大護摩祈願が行われる。また、毎月18日が縁日とされている。
如意輪観音
仁徳帝の時代(313~399)にインドの僧裸行上人によって開基された。上人は熊野浦に漂着し、那智の滝にて修行を積み、観世音を感得した。その後推古天皇の時代(593~628)に堂宇が建立され、大和の生仏上人が如意輪観音を安置された。
裸形上人の後、役行者、伝教、弘法、智証、叡豪、範俊ら高僧が相次いで法燈を守り続け、那智七先徳と称せられる。日本一の那智の滝の元、一方では熊野三山(本宮、新宮、那智)のひとつとして、もう一方では西国観音巡礼第1番札所として、現在も多くの人が行き交う。
天台宗那智山 青岸渡寺
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地
電話:07355-5-0404
新観音堂建立
- 犬伏街道(栃木県道)の道幅拡幅に際し、佐野百観音では道路渋滞緩和に協力し、土地の提供及び観音堂の移動工事を行います。信者の皆様には大変ご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご協力の程、お願い申し上げます。
- 平成21年 5月30日 上棟式
- 平成21年 8月17日 旧観音堂解体
- 平成21年 9月19日 完成
平成20年10月13日 大安
- 当日は、住職、副住職を始め、檀信徒総代、施工業者等にて厳かに地鎮式が行われた。
平成21年5月30日 大安